世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー
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農林水産業歴史的かんがい施設

ため池

1)概要及びGIAHS的価値について

 日本の水稲作において、用水の管理は、米の収量や品質を左右する非常に重要な作業、技術である。能登半島は、三方を海に囲まれ、平坦地が少なく、大部分が丘陵地、山地からなる。また、それらの丘陵地や山地は、海に迫っているため、河川の全長が短く、流量も少ない。さらに、農地もまとまっておらず、大規模なかんがい施設がつくられることが少なかった。

 

 能登では、古くから、「ため池」が、用水を確保する水源として用いられてきた。他地域では、一般に、戦後の農業インフラ整備の中で、ため池から、より効率的なかんがい施設への転換が行われてきたが、能登には、現在でも、1,890箇所のため池が残っている(令和2年3月時点)。また、「ため池百選」(農林水産省選、平成22(2010)年)にも認定されている漆沢の池(七尾市)や、江戸時代に築造された奥能登最大の雁の池(珠洲市)など、景観的にも優れたため池も数多く存在する。

 

 ため池の水は、平等に利用できるが、枯渇しないよう、地域で管理されており、集落の共同体制の構築にも寄与している。現在も、土地改良区や用水組合などの集落単位で、配水や施設の管理を行う組織が設立され、管理している。また、これらの集落単位は、キリコ祭り(前述)や労働者の季節移動様式(後述)を支える単位ともなるなど、能登の文化的サービスの一翼も担っている。

 

 ため池の配水管理は、生物多様性にも大きな影響を与えている。冬期に貯められたため池の水は、春先の田植え期に、用水を大量に使用することで、水位が低下し、梅雨により水量を回復する。夏から秋にかけ、用水を使用した後、冬期には、池干しが行われる。このように、ため池では、一年を通じて水位が変動するため、水位変動に適応できる抽水植物や魚類、昆虫などによる生態系が成立している。

 

 ため池は、農業における水管理だけでなく、地域の生物多様性や文化的サービスなど多面的なサービスを担っている。しかし、能登最大の課題である、集落人口や農林水産業就業人口の減少、高齢化の進行により、現在、ため池の管理が困難な状況に追い込まれつつあるところも出てきている。農業生産上の作付面積の減少により、ため池が放置された場合、沼から湿地へと遷移し、地域生態系を変容させてしまう場合があり、そこでは、集落単位で維持されてきた様々な文化や風習も失われてしまうことが懸念されている。

 

2)背景(経緯〜現状)

 前述のとおり、日本の水稲作において、水の管理は、米の収量や品質を左右する大きなウェイトを占める。能登では、「ため池」による水源の確保と配水のための用水整備が、古くから行われてきた。 宝永元(1704)年の『一覧記』には、「上野道を過ぎゆくに、黒川五朗左衛門と言う者つくりし雁橋の池あり」とあるほか、『能登名跡誌』には、宗玄(現:輪島市)と恋路(現:能登町)の岩山を切り抜いて、切り通しを作った人に、「御郡奉行黒川五左衛門」をあげている。藩政初期、開発のため、熱心に土木工事を指導し、推し進めた郡奉行(江戸時代、各藩におかれて地方の行政に当たった職名。農民の管理や徴税・訴訟などを扱った。出典:大辞林)がいたことが推察される。

 

  ほかにも、漆沢の池(七尾市)をはじめとする多くのため池や野中用水(穴水町)、右門助(よもすけ)やマンポ(地下水路、とくに七尾市)、板屋兵四郎による春日用水(輪島市)などの用水施設や豊川平野(七尾市)の干拓による農地の造成、七尾市能登島の石垣田の造成などが、江戸時代に行われたことが記録に残っている。

 

 能登には、農業遺構が数多く残っているが、特に、能登の農業システムを成形する重要な要素であるため池は、現在、約1,890箇所が残存し、そのうち、江戸時代以前に築造されたものは43%、明治期に築造されたものは36%となっている。

 

表U-6-1 能登地域のため池の築造年代

 

築造年代が判明しているため池

ため池
総 数

江戸時代
以前

明治

大正

昭和以後

能登地域計
(割合)

264

221

32

92

609

1,890

43%

36%

5%

15%

100%

 

石川県計

386

360

67

145

958

2,331

 

3)特徴的な知恵や技術

 ため池に水を貯めるのは、1月頃である。2月の大寒以降の水は、「寒の水(かんのみず)」と呼ばれ、汲み置きしても腐らないといわれており、この時期の水が貯められる。春先の田植え期に、用水を大量に使用することにより、ため池の水位は一時的に低下するが、梅雨により水位を回復し、夏の用水需要に備える。その後、夏から秋の落水期にかけて、用水として使用されるため、ため池の水位は徐々に低下していく。9月頃には、ため池の水抜きが行われ、冬には池干しが行われる。この時、ため池の点検が行われるほか、夏の間に溜まった池敷き底泥を空気にさらすことで、分解を促進させる。その後、翌年の春に向け、雪解け水を貯め込み、水位を上げていく。この様に、ため池の水位は、一年を通じて、季節的に変動を繰り返す。

 

4)生物多様性との関わり

 能登の里山では、農地が谷内田形状であることに加え、ため池が組み合わされることで、より複雑な環境が形成され、豊富な生態系の成立と存続を可能としている。点在する谷内田は、水田に水を供給する用水によりつながり、連続的、連鎖的に展開している。そのため、生息する生物の移動が容易となり、広く能登全体に「緑の回廊」が張り巡らされた状態となっている。

 

 ため池には、特有の水位変動に適応できる抽水植物や魚類、昆虫などによる独特の生態系が成立している。また、ため池や農業用水路には、絶滅危惧種シャープゲンゴロウモドキやトミヨ、固有種ホクリクサンショウウオなどの希少な昆虫や魚類等も生息している。ため池を中心とした水域には、食用のジュンサイのほか、絶滅危惧種ヤマトミクリなどの水草も、多くの種類が確認されている。

 

 能登は、コハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどの水鳥飛来地でもある。水鳥は、七尾湾などに飛来し、ため池周辺の水田を餌場として利用している。昭和45(1970)年1月までは、奥能登最大のため池「雁の池」(珠洲市)や「鴻の巣池」(珠洲市)などの周辺では、絶滅したトキや国の特別天然記念物コウノトリの存在も確認されていた。

 

 しかし現在、能登のみならず、全国各地のため池や農業用水などでは、ブラックバス、ブルーギル、ウシガエル、アメリカザリガニなどの特定外来種に指定されているものを含め、多くの外来種の侵入が確認されている。これらは、捕食性が高く、水生生物の生育を阻害するため、在来種の存続を脅かし、問題となっている。冬場の池干しは、ブラックバスなどの外来魚の発見、駆除にも有効であるが、近年は、池干しされないため池も見られるようになっている。

 

 ため池は、継続した管理がないと維持できない。放置されたため池は、沼から湿地へと遷移し、植物が茂り、光が当たらない場所となり、生息する生物相が変化し、地域の生態系も変容していく。ため池の管理が行われなくなることにより、周辺に生息する希少な生物の生息場所も失われてしまうことが懸念されている。

 

5)里山里海との関わり

 能登の里山里海における共同体では、多くの社会的組織が、代々、入会(入会地および海岸水域においての資源の共同管理)を継続しているが、ため池のシステムは、里山の入会のひとつであるともとらえられる。ため池の管理は、能登の農業システムのバックボーン的な存在であり、コミュニティによっては、三十世代にも渡り、ため池管理を行ってきたところもある。管理単位は、小集落を基に構成されている。もともとは、集落のリーダーが、これらの管理単位を指導する立場だったが、現在は、集落全体が、一つの集団として、それぞれのリーダーを選ぶ。

 

 現在、「土地改良区」として知られている水土里ネットやため池を管理する組織は、第二次大戦後の昭和23(1948)年、土地改良法に基づく土地改良事業を施行することを目的とし、日本政府によって設立された法人である。この改革により、地主制度が廃止され、土地は、各コミュニティの小作人に再分配された。

 

 用水やため池管理の規制主体として役割を果たしてきた「地主制度」の廃止後も、能登では、代々受け継がれてきた祭りや労働者の季節的移動様式など、数多くの文化や習慣が受け継がれてきた。前述のキリコ祭りもそのひとつである。能登独特のキリコ祭りは、近くの集落の住民をお互い招待しあい、7月から9月末にかけて、各集落で順に開催される。労働者の季節的移動様式とは、雪に埋もれた冬期、収入を得るために、工場労働職等の季節労働職を求めて、多くの人が都市へ移動することである。能登では、かつて、集落の男全員が、ひとつの集団として、仕事を求め、都市部へ出稼ぎに行った。

 

 能登でみられる集団主義または集産主義の強みの源は、ため池と水田にあると分析されることもある。能登にある約1,890箇所のため池は、集落それぞれが個別に管理し、独立した管理システムを持つ。能登の農業システムを維持し、現在も存在する集落コミュニティ組織は、自然環境と相互依存関係にあると評価する専門家もいる。

 

 珠洲市では、40年ほど前までは、水抜き後に、ため池の底に残ったフナ等の魚を、共同体で食べる「鮒式」と呼ばれる風習が残っていた。現在でも、水抜きを行っている地域で、「鮒式」を行ったという話があり、数年前には、七歩池(珠洲市)で行われたことが確認されている。水抜き後のため池を竹駕籠でさらうと、「がばち」「ぬまちちぶ」「うきごり」などが捕れる。それらは共同体で食され、食文化サービスも供給していたと考えられる。

 

<参考文献>


図書・報告書
1) 石川県農林水産部耕地建設課編(1986)『石川県土地改良史』、石川県土地改良事業団体連合会発行、pp.149-159、pp.162-165、pp.450-452、pp.591-595
2) 石川県土地改良事業団体連合会ホームページ「水土里ネットいしかわ」 
< http://midori-net.jp/mame/yousui.html >
3) 環境省自然環境局自然環境計画課(2008)「里地里山保全再生計画策定の手引き」
4) GIAHS申請テンプレート
5) 日本の里山・里海評価−北信越クラスター(2010)「里山・里海:日本の社会生態学的生産ランドスケープ 北信越の経験と教訓−過疎・高齢化を克服し、豊かな自然と伝統を活かす−」国際連合大学、東京
6) 能登地域GIAHS協議会(2011)「能登の里山・里海 GIAHSアクションプラン」、pp.6-7.
7) 珠洲市史編さん専門委員会(1979)『珠洲市史』、珠洲市、pp.193-198
8) 吉迫宏ほか(2011)「石川県珠洲市における小規模ため池の施設管理実態」農工研技報211、pp.121-130