天文15(1546)年に創建された金沢御堂は、地元の大坊主衆や本願寺の坊官たちが取り仕切っていました。
この金沢御堂を制圧し入城したのが佐久間盛政でした。佐久間は、天正8〜11(1580〜83)年の在城でしたが、 尾山八町(初期の城下町)の整備や百間堀の開削など、後の基礎を築いたと考えられています。
佐久間の後、前田利家が能登から金沢城に入りました。
利家自身は、豊臣秀吉の重臣として京・大坂にいることが多く、 慶長4(1599)年に没するまで留守にしていることがほとんどでした。
その後、宝暦や文化の火災を経て明治維新まで、利家から数えて14代の藩主が金沢城の城主となりました。