世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー
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里山保全の取組と生物多様性

里山保全活動

1)概要及びGIAHS的価値について

 里山は、集落とそれを取りまく農地、二次林、人工林、ため池、水路、草原などからなり、農林漁業や暮らしの営みなど、人からのさまざまな働きかけを通じて形成された農村・山村地域である。里山は、農林漁業への感謝から生まれた伝統的な祭礼や神事、地域資源を活かした工芸、美しい景観などを育むとともに、山崩れや洪水の防止、森林資源や草木質資源の供給、環境学習の場の提供など、さまざまな恩恵を与えてくれている。

 

 現在、能登各地では、里山の恩恵を次世代に継承するための保全活動が活発に行われ、NPOや地域住民が主体となっている活動も多くある。里山に対する地元の関心も高まりをみせており、地域住民が里山の価値を認識し、継続的に保全活動を行っている地域も多くみられる。

 

2)背景(経緯〜現状)

 昭和30年代頃に起こった燃料革命までは、燃料となる薪や炭の調達先は主に里山であったため、日常的な里山との関わりは密接であり、里山の生態系は人の手が入ることにより形成されていた。アカマツ林では、伐採や地掻きなどの手入れが行われることで、林床に松茸をはじめとする多くのきのこ類が発生した。松茸は取引価格が高く、農家の重要な収入源であった。その後、燃料がガスや灯油に切り替わり、薪や炭の需要は減少し、日常生活と山の関わりは薄くなった。

 

 昭和40(1965)年前後の高度経済成長期からは、建築材としての活用や雇用創出のため植林事業が始まり、天然の広葉樹を伐採し、スギ等が植林され、それに伴い生態系のバランスも大きく変わった。雑木林も経済的な利用価値が薄れたため、以前ほど手入れされなくなり、植物が生い茂るなどし、日が差し込まない暗い空間となった。林床には落ち葉が放置され、年老いたアカマツ林も多くなり、樹齢30〜60年のアカマツと痩せた土壌を好む松茸は、発生が減少した。

 

 松茸の一大産地であった珠洲市では、昭和36(1961)年に23トンあった生産量が、現在、ピーク時の1/20以下となっており、近年では1トン/年以下となる年も多い。また、安価な外材の輸入により国産材の使用が減少し、林業従事者も後継者不足や高齢化に悩んでいる。現在、能登各地において、人々と里山との関係が希薄になり、里山の荒廃が進んでいる。

 

 こうした現状を改善していくため、アカマツ林の再生や耕作放棄地でのクヌギの植林、伐採期の森林の伐採など、NPOや森林組合などを中心に、能登の里山を再生させるさまざまな取組がすすめられている。

 

3)特徴的な知恵や技術

@事例:アカマツ山の手入れ・松茸山の再生(珠洲市三崎町)

 珠洲市三崎町小泊では、NPO法人能登半島おらっちゃの里山里海が中心となり、松茸山の再生がすすめられている。アカマツとヒサカキで構成される珠洲の里山の特徴に合わせ、高木のアカマツと低木のヒサカキを残して伐採することで、松茸の生育に適した日照条件を生み出す「二段林方式」と呼ばれる整備手法が確立されている。

 

 一度松茸の菌糸(シロ)が絶滅してしまった山では松茸の再生は難しいため、現在少しでも松茸の発生が確認されている山を対象として、年老いたマツや雑木の伐採、松葉の地掻き作業が行われている。これにより山に光が入り、地下で弱っていた菌糸(シロ)が活力を取り戻し、数年後には松茸が発生するといわれている。平成19(2007)年に、珠洲市内で再生がすすむアカマツ山6地点を調査した結果、松茸の発生が確認された。

 

 
 写真 珠洲市アカマツ整備林        写真 整備林から発生した松茸         出典:キノコ日記ホームページ

 

A事例:アカマツ山の手入れ・松茸山の再生(七尾市能登島町)

 七尾市能登島町長崎地区では、能登島ながさき里山保全計画のプロジェクトのひとつとして、「塩づくりによる松茸再生プロジェクト」が進められている。同地区は、伝統的に塩づくりの燃料として松材を使用していたため良質な松茸の産地であったことに着目し、塩づくりの再現と生産可能性の検証とあわせ、松材確保のための森林整備の実施も挙げられ、枯れた松材を除去し、燃料として利用することで、松茸山の再生に繋げることを目指している。

 

 また、七尾市能登島では、平成22(2010)年に、アカマツ林の所有者による「マツタケ山再生研究会」が発足され、平成23(2011)年には、第1回里山収穫イベントとして、NPO法人おらっちゃの里山里海の赤石大輔氏とともにアカマツ林を散策し、キノコの観察や地掻き体験を行う「能登島コケ採り体験」が実施された。

 

 
写真 能登島コケ採り体験の様子  出典:七尾市ホームページ

 

B事例:クヌギの植林(珠洲市)

 石川県は良質な木炭生産地であり、戦後のピーク時には、年約4.8万トンを産出していたが、その後のエネルギー革命により需要が低下し、現在の生産量はピーク時の約0.3%まで減少している。珠洲市で炭焼きを生業としている大野長一郎氏は、茶会で使われるお茶炭が通常の炭よりも高価格で取引されていることに着目し、お茶炭の産地化を目指している。

 

 断面のきれいな、良質のお茶炭に適しているのは樹齢10年程度のクヌギであるが、能登には原料となる若いクヌギが少ないため、平成15(2003)年の秋から耕作放棄地にクヌギを植林する活動を始めた。平成20(2008)年からは、体験交流事業として実施されており、第1回の植樹イベントには、50人のボランティアが参加した。その後は、NPO法人グリーンウェーブ(東京都)やおらっちゃの里山里海などと共同で実施し、平成30(2018)年までに約6000本のクヌギが植林された。

 

  

 写真 クヌギの植樹イベント風景

 

C事例:企業による植林活動(中能登町)

 石川県では、森林を健全な姿で次世代に引き継ぐことを目指し、社会全体で森林を支える新制度として、平成19(2007)年度から「いしかわ森林環境税」が導入され、「いしかわ森林環境基金」が設置されている。近年、企業の社会的責任(CSR)の取組の一環として、森づくりに関心を持つ企業も増えており、平成19(2007)年度からは、いしかわ森林環境税を活用した「企業の森づくり推進事業」が展開されている。同事業では、石川県が企業と森林所有者のコーディネートを行い、企業と地域の連携による森づくりを進めている。

 

 のと共栄信用金庫は、同事業を活用し、金融商品“能登の森づくり”定期預金「森づくりファンド『やまもり』」を販売している。森づくりに賛同した預金者から、満期時に受取利息の一部を寄付してもらうとともに、同信金も資金を拠出し、活動の原資としている。中能登町にある石動山の県有林を借り受け、間伐や枝打ちなど人工林の整備やブナやケヤキの植林などを行う「石動山の森づくり」が、これまで計23回(令和2(2020)年3月末日時点)実施されている。

 

 
 写真 石動山の森づくりの様子   出典:のと共栄信用金庫ホームページ

 

4)生物多様性との関わり  

 里山では、人間の働きかけがあることで、生態系にとって適度な攪乱が起こり、生物多様性の維持・保全につながっている。人の手が入らなくなり植生管理が放棄された里山や耕作放棄地は、低木類が成長し、林床が暗くなり、草本植物が消失し、生物多様性が低下すると考えられている。また、放置された竹林や里山では、収穫されないタケノコやクズ、ススキが繁殖し、さまざまな問題を引き起こしている。定期的な伐採による更新や地掻きなどの手入れを行うことは、里山の生物多様性を維持・保全するうえでとても重要である。

 

 松茸は収入源ともなり、経済活動とも結びつきやすく、受け入れやすい象徴種になっており、能登では、アカマツ林の手入れなど、松茸の復活を掲げた里山保全活動が広がっている。

 

5)里海との関わり

 近年、漁業者の里山への関心が高まりをみせており、1980年代後半に北海道と宮城県で漁業者による植林運動が始まって以来、その動きは全国に拡大している。植林には落葉広葉樹が適すると考えられている。落葉広葉樹が増えることで、落ち葉により腐葉土が形成され、雨が降り、腐葉土に含まれる栄養分が川と海に流れ込み、植物プランクトンが増加し、豊富な海の資源を育む。里山と里海は一体となった流域環境を形成しており、維持管理についても同様といえ、珠洲市や七尾市では、漁業者による植林や下草刈りなどの里山保全活動が行われている。

 

 里山の木材資源は、かつては、木造船や漁具の材料として、里海の暮らしでも活用されていた。能登では、昭和初期、木造船が使用されており、独自の技術をもった舟大工が沿岸で生計を立てており、森林資源の地産地消が行われていた。里山により漁業も支えられていたが、現在は、漁船の機械化、大型化が進み、船の材質もFRPやプラスチックが使われるようになり、里海での木材需要は最小限になった。