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食通としても名高い作家の開高健が「こばせ」に初めて現れたのは昭和40年の冬。越前がに尽くしでもてなした長谷さんは、「同じ献立が続いては芸がない」と知恵を絞った。ひらめいたのは、子供のころに食べた記憶のあるセイコガニ(雌のズワイガニ)の丼だ。希代の健啖家と勝負するつもりで、炊きたてのご飯の上に20パイ分の身、内子、外子、ミソをこれでもかとばかりに盛り付けた。
「先生、宝石箱をひっくり返してしまいました」
セイコガニを“海の宝石箱”と呼んで絶賛していた開高は、「ウーン」と唸るや一気にかき込み、7人前はあろうかという巨大な丼をペロリと平らげると、太鼓腹をポーンと叩いて「満足!」。のちの名物料理「開高丼」誕生の瞬間である。 |
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