橋爪門橋爪門

金沢城、二の丸の正門にあたり、城内で最も格式の高い門とされた「橋爪門」が
明治期に焼失して以来134 年ぶりに、往時の姿で復元されました。

橋爪門の特徴と整備の概要

橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門です。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門でした。文化五年(1808)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809)に再建された姿を復元しています。
今回の整備では、平成13年に復元された「一の門」に続く、「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし、平成24年6月に工事着工、平成27年3月に完成しました。

橋爪門関係年表
1583
(天正11年)
前田利家、金沢城主となる
1631
(寛永8年)
寛永の大火
こののち二の丸に御殿を造営、橋爪門創建
1759
(宝暦9年)
宝暦の大火。金沢城の建物の大半を焼失。
三御門も焼失
1762
(宝暦12年)
橋爪門再建
1788
(天明8年)
橋爪門続櫓再建
1808
(文化5年)
文化の二の丸火災。二の丸御殿、橋爪門、
同続櫓、五十間長屋、菱櫓等が焼失
1809
(文化6年)
橋爪門再建
1810
(文化7年)
二の丸御殿、菱櫓、五十間長屋を再建
1881
(明治14年)
失火により二の丸御殿、橋爪門、五十間長屋等が焼失
2001
(平成13年)
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓とともに、
橋爪門一の門を復元
2015
(平成27年)
橋爪門二の門、枡形二重塀を復元

金沢城三御門

金沢城内の各曲輪(くるわ)をつなぐ城門の内、特に重要であった「石川門」「河北門」「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。「石川門」は宝暦の大(1759)後、天明8年(1788)に再建されたものが現存し、国の重要文化財に指定されています。「河北門」は平成22年4月に史実に沿って復元され、今回の「橋爪門」の完成により、「三御門」全てが整い、三の丸一帯の江戸後期の景観がよみがえりました。

三御門の比較
「二の門」二階面積比較 「枡形」面積比較
①河北門二の門…220m2(26.9m×8.2m) ①河北門…255m2
②石川門二の門…181m2(24.9m×7.3m) ②石川門…272m2
③橋爪門二の門…113m2(14.4m×7.9m) ③橋爪門…445m2

※設計図及び竣工図より

建造物概要

枡形平面図
二の門櫓部(二階)平面図
二の門 梁間断面図
二の門東立面図
土塀南立面図
石垣工事

金沢城の石垣に使用される石は、その大半が城の南東約10㎞の戸室山周辺から産出される戸室石を用いています。橋爪門枡形の石垣は、表面を丁寧に整形した石を、隙間無く積み上げる切石積みと呼ばれる技法で積まれています。

左官工事

左官工事は、「荒壁土造り」「竹小舞搔き」「荒壁塗り」「斑直し」「中塗り」「漆喰塗り」の各工程を経て壁を仕上げ、工程ごとに十分に乾燥させる必要があるため、工事全体の工程を管理する上で重要なものです。

木工事

橋爪門は、日本古来の木造軸組工法を使用し、柱と梁などの接合部分には、釘などの金物を用いない、仕口・継手の工法を用いています。使用木材は全て国内産材を用い、この内約55%に、能登ヒバや杉等の県産材が使われています。

屋根工事

橋爪門の屋根仕上げには、石川門や河北門と同様に鉛瓦が用いられています。鉛瓦と称していますが、大工が木板を瓦状に加工し、その上に板金工事として厚さ約1.8mm の鉛板を取りつけて仕上げるものです。軒先部分の丸瓦には、加賀藩前田家の家紋である梅鉢が施してあります。

規模・構造・仕上げ


 
二の門 枡形二重堀 出し 一の門 一の門脇土塀

 
建築面積  149.33m2
延べ床面積 136.18m2
矩折延長 39.44m 桁行2間、梁間2間
建築面積 10.42m2
建築面積 27.7m2 延長15.06m

 
櫓門 南妻:入母屋造
北妻:橋爪門続櫓へ接続
切妻造二重塀
東側土塀北端部を
鶴の丸土塀出狭間へ接続
切妻造 正面軒唐破風付 高麗門 太鼓塀


櫓部外壁漆喰塗
鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
外壁漆喰壁塗り
外部側腰壁海鼠壁仕上げ
鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
鉛瓦葺
(本瓦葺型鉛板葺)
鉛瓦葺 外壁漆喰塗
海鼠壁仕上げ
鉛瓦葺

橋爪門の整備にあたっては、史実に沿った復元となるよう、
埋蔵文化財の調査結果、古文書や絵図、古写真等の史料に基づき設計を行いました。

埋蔵文化財調査の概要

平成22年7月から24年6月まで調査を行い、発掘調査では二の門北脇柱列の根固め、石組暗渠等の遺構を確認し、
続槽台石垣の調査では二の門添え柱の中心位置を示す「ノミ切り」、敷石痕跡等を確認しました。
これにより文化六年(1809)に再建された二の門の柱間寸法や敷石面の標高等がわかり、復元に活かされました。

発掘調査中の橋爪門(2012)

続櫓台裾で確認された、「根固め」、「石組暗渠」等

添柱の中心を示す「ノミ切り」

敷石痕跡

絵図・文献資料等の概要

金沢城に関する絵図は数多く現存しており、これまでの復元整備においても重要な資料とされてきました。
橋爪門に関しても、江戸後期の様子を詳細に描いた平面図、立面図が複数あり、設計にあたっての重要な根拠資料となっています。
文献では、文化再建期の造営奉行高畠厚定の記した「御造営方日並記」等の記述を復元の根拠としています。

  • 橋爪御門等御絵図-3. 橋爪二之御門図
    (金沢市立玉川図書館蔵)

  • 御城中壱分碁絵図(横山隆昭蔵)

  • 御造営方日並記(金沢市立玉川図書館蔵)

  • 明治初期の橋爪門と同続櫓
    (石川県立歴史博物館蔵)