石川四高記念文化交流館
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開館時間
  • 多目的利用室・レトロ体験室
      9:00〜21:00
  • 展示室
      9:00〜17:00
      (入館は16:30まで)

休館日
年末年始(12/29〜1/3)

※展示替等で休館することがあります。


入場料
石川四高記念館は無料です。
石川近代文学館は以下のとおりです。
  個 人 団 体
一般 360円 290円
大学生 290円 230円
高校生以下 無料 無料
※団体は20名以上です。
※入場料金は企画展示開催中変わることがあります。

観覧料の減免については、こちら
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風土に育まれた文学
加賀の作家
西田 幾多郎(にしだ きたろう) ●西田 幾多郎(にしだ きたろう)

明治3年〜昭和20年(1870〜1945)
哲学者。石川県宇ノ気町生まれ。東大哲学科選科卒。四高、学習院教授を経て京大教授、文学博士。四高在職中、三々塾を作り、学生と思索の場を持つ。 『善の研究』(明治44年)で思想界に登場、西洋哲学の手法を摂取しつつ東洋の思想伝統を表現すべく、独自の概念と論理の構築に務め、独創的な哲学体系を樹立。西田哲学を慕って俊才が集まり、京都学派を形成、日本思想界の指導的役割を果たす。文化勲章受章。 著書は、『西田幾多郎全集』にまとめられる。

暁烏 敏(あけがらす はや) ●暁烏 敏(あけがらす はや)

明治10年〜昭和29年(1877〜1954)
歌人、宗教家。俳号非無。石川県松任市生まれ。 真宗大卒。明達寺住職。
清沢満之の薫陶の下で浩々洞を結成、「精神界」を創刊 (明治34年)、編集 に従事し仏教の近代化と親鸞思想の敷衍に寄与。後、石川県に戻り、藤原鉄乗・高光大船らと 愚禿社を結成、「氾濫」を創刊(大正6年)、多くの知識人、 門信徒の尊敬を集める。 歌集に『地球をめぐりて』(昭和5年)などがある。 詩、俳句、評論、随筆も多く『暁烏 敏全集』(昭和53年)に収録。

西出朝風(にしで ちょうふう) ●西出 朝風(にしで ちょうふう)

1884年〜1943年
口語歌人 加賀市生まれ
口語短歌の先駆者の一人として、その普及に努め、『新短歌と新俳句』創刊。『即興詩集・唐人笛』『青春の日』など。

北村 喜八 (きたむら きはち) ●北村 喜八 (きたむら きはち)

明治31年〜昭和35年(1898〜1960)演劇家。
石川県小松市生まれ。東大英文科卒。築地小劇場に参加、数多くの欧米戯曲を翻訳、演出も担当。一方、「劇と評論」に戯曲や詳論を発表。劇団分裂(昭和4年)後、劇団築地小劇場主事。解散後、日大芸術科演劇主任講師となる。 妻村瀬幸子と芸術小劇場を結成(昭和12年)、自作『美しき家族』などを上演し、芸術至上主義の立場を貫く。戦後は国際ペン大会(昭和25年)に日本代表として渡欧、帰国後、国際演劇協会日本センター設立に尽力、 初代理事長となる。

加賀 耿二(かが こうじ) ●加賀 耿二(かが こうじ)

明治32年〜昭和49年(1899〜1974)
小説家、政治家。本名 谷口善太郎。別名 須井一。石川県能美郡辰口町生まれ。高等小学校卒。清水焼の職工となり、京都陶磁器従業員組合を結成(大正11年)、労働運動に入る。共産党事件(昭和3年)で検挙されたが、肺結核で自宅療養中、自伝的小説『綿』(昭和6年)『清水焼風景』(昭和7年)などを須井一の名で発表、プロレタリア作家としての地位を築く。その後、筆名を加賀耿二と改め、『工場へ』(昭和9年)、『土地はだれのものか』(昭和15年)などを発表。戦後、衆議院議員をつとめる。

島田 清次郎 (しまだ せいじろう) ●島田 清次郎 (しまだ せいじろう)

明治32年〜昭和5年(1899〜1930)
小説家。石川県美川町生まれ。金沢商業中退。父の死により母と金沢に移住。職を転々とした後、暁鳥敏の推薦で「中外日報」に『死を超ゆる』(大正6年、未完)を発表。上京して生田長江の推薦で『地上』第1部を刊行(大正8年)、ベストセラーとなり、第4部(大正11年)で完結。この間、短編集『大望』(大正9年)、戯曲集『帝王者』(大正10年)、随筆集『早春』(大正9年)評論集『勝利を前にして』(大正11年)を刊行。その後傲慢・奇矯の言動から急速に失墜、精神病院に収容され病没。

深田 久弥 (ふかだ きゅうや) ●深田 久弥 (ふかだ きゅうや)

明治36年〜昭和46 年(1903〜1971)
小説家、登山家。俳号九山。石川県加賀市生まれ。東大哲学科中退。在学中『オロッコの娘』を発表して認められ作家生活に入る。『津軽の野面』(昭和10年)『知と愛』(正続・昭14・18年)『親友』(昭和18年)のほか山岳紀行文集『わが山々』(昭和9年)『山頂山麓』(昭和17年)などを刊行。戦後、一時郷里の大聖寺、金沢に住む。主として山岳随筆やヒマラヤ研究に力を注ぎ、『日本百名山』(昭和39年、読売文学賞)、『ヒマラヤの高峰』(昭和40年)などを刊行。甲州茅ヶ岳登山中に急逝。

村井 武生(むらい たけお) ●村井 武生(むらい たけお)

明治37年〜昭和21年(1904〜1946)
詩人。本名邑井武雄、別名邑井芳郎。石川県美川町生まれ。金沢二中中退、友人と詩歌誌「成長する魂」創刊。その後、「舵の座」(大正12年)「詩人祭」(大正13年)など創刊、主宰と続く。室生犀星に師事して上京。師の序を得て詩集『樹陰の椅子』刊行(大正14年)。その後、人形劇などに携わる一方、詩集『着物』を刊行(昭和8年)。翌年帰郷、粟ヶ崎遊園地の少女歌劇団の舞台監督、北国新聞記者などをつとめる。戦中、中国にわたり、新聞記者になるが帰還途中、北京で病没。

森山 啓(もりやま けい) ●森山 啓(もりやま けい)

明治37年〜平成3年(1904〜1991)
小説家、詩人、評論家。本名森松慶治。新潟県生まれ。東大美学科中退。在学中からプロレタリア文学運動に参加、詩集『隅田河』(昭和8、発禁)『文学論』(昭和10年)を刊行。『収穫以前』(昭和12年)で作家として出発、『遠方の人』(昭和16年)『海の扇』(昭和17年、新潮社文芸賞)を刊行。戦中、妻の故郷小松市に移住、『青海の簾』(昭和31年)『市之丞と青葉』(昭和45年)を、松任市に移り『野菊の露』(昭和55年)、自伝小説『谷間の女たち』(平成元年)を刊行。北国文化賞、小松市文化賞、中日文化賞受賞。

陣出 達朗(じんで たつろう) ●陣出 達朗(じんで たつろう)

明治40年〜昭和61年(1907〜1986)
小説家。本名中村達男。石川県小松市生まれ。金沢中学卒。京都日活撮影所入社。『さいころの政』が「サンデー毎日」大衆文芸賞受賞(昭和8年)。後、脚本家から時代小説家に転じ『山彦呪文』(昭和14年)などを発表。戦後、捕物作家クラブを結成、会員らと『京都新聞』に『黒門町伝七捕物帳』を連載。「遠山の金さん」シリーズと並んで、主に執筆した陣出の代表作となる。随説(陣出の造語)『夏扇冬炉』(昭和49年、日本作家クラブ賞)、伝奇小説『飛竜無双』(昭和24年)などの作品もある。

鶴 彬(つる あきら) ●鶴 彬(つる あきら)

明治42年〜昭和14年(1909〜1939)
川柳作家。本名喜多一二。石川県高松町生まれ。高等小学校卒業。大阪に出て町工場労働者となる。その間、失業に苦しみながら川柳を作り、井上剣花坊の「川柳人」に評論『僕らは何を為すべきや』を発表(昭和2年)
プロレタリア川柳の立場を明確にする。金沢第七連隊に入営(昭和5年)、軍隊赤化事件の首謀者とみなされ収監。除隊後も階級闘争と反戦川柳の作句と理論を展開し、「川柳人」に発表した川柳が治安維持法違反とされ検挙。収監中に死去。


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