世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー
自然・生き物
農林水産業
伝統技術
文化・祭礼
景観
利用保全の取組み

HOME世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー伝統技術>農産物や海産物の加工技術>乾燥する技術

伝統技術農産物や海産物の加工技術

乾燥する技術

1)概要及びGIAHS的価値について

  能登の気候は温暖多湿で、生鮮食品の保存が難しく、また、長く雪に覆われる冬季に備えて、食料の備蓄も必要であった。そのため能登では、季節ごとに多くとれる農産物や海産物を、干すことで保存するという営みが育まれ、現在でも暮らしに息づいている。

 

  魚は、水分が70〜80%あり、自己消化力も強く、そのままではすぐ腐敗するため、水分を40%以下にして保存する必要がある。干すことは、水分の含有量を減らすとともに、表面に膜を作る。膜が作られることで保存性は高まる。さらに、独特の食感と食味も生まれる。

 

 干物づくりには、素材を乾燥させる「風」が重要で、適度な湿度や温度も必要とされる。能登の海辺に吹く潮風や里山からの風は、干物づくりには欠かせない。干物をつくる人々は、良く乾く風向きを知っており、南からの乾いた風や冬に北西から吹く季節風に「下がりの風」「あえの風」などの名前をつけた。

 

 干物には、素材をそのまま天日に干す「素干し」、軽く水分を抜くだけの「一夜干し(生干し)」、内臓を取らずに干す「丸干し」、調味液に漬けて干す「調味干し」、塩漬けにしてから干す「塩干し」など、様々な種類がある。能登には、独特の調味干しとして「いしる干し」がある。

 

 海産物だけでなく農産物も干して保存する。身近な漬物であるたくあんをつくる際も、まず大根を干すところから始まる。また、志賀町などでは、「ころ柿」と呼ばれる干し柿が特産品となっている。ころ柿は、まんべんなく日光があたるように転がすことからこの名がついたともいわれる。「干す」という時間を経て、丁寧に作られる「干し柿」は、先人たちの知恵の結晶である。

 

表U-3-1 季節ごとに能登で干されている食材

季節

農産物

海産物

 春野菜 山菜 椎茸

 ワカメ めかぶ ツルモ

 梅干 夏野菜 金糸瓜 かもうり

 アワビ サザエ 天草(ところてん)

 芋 椎茸 銀杏

 サンマ ぎばさ(ホンダワラ)

 柿 大根

 フグ カジメ

 

 

2)背景(経緯〜現状)

@食品加工の歴史

  能登の食品加工の起源をたどると、奈良時代の平城京跡出土の木簡や平安時代の「延喜式」(905年-927年)にまでさかのぼる。七尾湾の特産品であるナマコが、能登国の調(律令制度の現物納租税)として上納されていたことが知られており、当時から能登ではナマコを乾燥して保存していたということである。能登では、その知恵が現代にいたるまで受け継がれている。

 

表U-3-2 食品加工技術の起源

時代

出来事

備考

 縄文時代後期

 もち加工の始まり

 

 干物加工の始まり

 

 弥生時代

 なれずしの誕生

 かぶらずし

 大和時代

 酒・酢の渡来

 630年〜遣唐使

 魚醤が作られ始める

 のちに魚介の代わりに麦や大豆を 使って醤油に

 奈良時代

 こんにゃく・お茶の渡来

 

 酒づくり始まる

 延喜式(927年)に製法の記載

 酢づくり始まる

 『和名類聚抄』(934年頃)酢を苦 酒とよぶ

 平安時代

 漬け物加工の始まり

 

 かまぼこ加工のはじまり

 奈良時代の説もあり

 平安時代末

 豆腐の渡来

 

 鎌倉時代

 味噌・醤油の渡来

 1228年頃〜たまり醤油の起こり
 1666年〜 うすくち醤油

 室町時代

 生なれずし

 江戸時代には「にぎりずし」に

 切りめん(うどん)の登場

 

 江戸時代

 焙乾法(かつお節)の発明

 前身の竪魚は大和時代からあり

 梅干し(赤ジソ漬け)

 

 

(資料:「食品技術発達史」食と農の科学館)

 

A能登における干す技術の歴史

 能登の水産加工品の代表的なものは、魚の干物、ナマコの加工品、かまぼこなどであり、その歴史は古い。特にナマコは、古くは奈良時代、能登国の調として献上されていたほか、中世には能登畠山家から将軍家へ贈られている。近世になると、ナマコを茹でて乾燥させた煎海鼠(いりこ:地元ではキンコと呼ぶ)という加工品が、「俵物」として扱われ、加賀藩の産業奨励の後押しもあり、積極的に生産され、長崎貿易の主要な輸出品となっていた。

 

 「俵物」とは、煎海鼠(キンコ)と干鮑(ほしあわび)、鱶鰭(ふかひれ)の総称で、俵詰めにして輸出された事からこう総称され、中国では高級食材として珍重された。「長崎俵物御用」として専売制も敷かれ、七尾湾内の限られた村でしか漁が認められなかった。享保13年(1728年)には、七尾市所口町字豆腐町(現在の生駒町)の魚問屋商人・塩屋清五郎が、煎海鼠(キンコ)問屋として、藩の許可を得てその取り扱いを一手に担い、莫大な利益を得ていた。

 

 一方、農産物を干して保存することも古くから行われている。その代表例である「干し柿」の製法は、時代とともに移り変わっている。現在では、温度や湿度を計測しながら作業を管理しているが、かつては天日干しであった。

 

3)特徴的な知恵や技術

@事例:ナマコの加工品

・煎海鼠(キンコ)

  沖の生簀でしばらく砂を吐かせたナマコから、ていねいに内臓を取り出す。取り出された内臓は、「このわた」として塩辛にされ、身の部分は生で出荷されるほかに、「煎海鼠(キンコ)」などに加工される。

 

  キンコは、釜茹でしたナマコを天日干しして、8割方乾いたところでもう一度茹で、さらに干してつくる。ナマコはほとんどが水分なので、両手で持つくらいの大きさのナマコが、親指ほどの大きさにまで小さくなる。利用する際は、水で戻す。柔らかさと歯ごたえを楽しむ。中国では高級食材として高値で取り引きされている。

 

  近年では、「能登なまこ」としてナマコをブランド化する動きも始まっている。七尾市石崎地区のナマコ加工業者6社(現在は3社)によって、能登なまこ加工協同組合が設立され、漁期が冬に限られているナマコを、加工することによって、通年販売している。

 

・干しくちこ

  くちこは、ナマコの卵巣で、1つのナマコから少量しかとれない。そのくちこを素干しにしたものが、日本三大珍味の1つといわれる干しくちこである。軽くあぶって食べ、凝縮された磯の香りと上品な旨みを楽しむ。干しくちこ1枚あたり、数10kg単位のナマコが必要となる。ナマコの産地は、北海道から瀬戸内、九州さらには東南アジアと広範囲にわたるが、干しくちこを加工品として生産している地域は、能登とその他一部の地域に限られ、その中でも能登は一番の生産地である。

 

 糸のように細いくちこを一本ずつ細縄にかけ、三角形に形を整えていく作業には、手間を惜しまぬ忍耐強さと熟練の技が要求される。ナマコの漁期は11月6日から4月15日であり、ナマコの内臓にくちこが入り始めるのが1月前後となるため、干しくちこづくりは、冬の厳しい寒さの中で行われる地道な作業となる。七尾湾では、この伝統の技が現在も受け継がれている。干しくちこは、厳しい自然を生き抜いてきた能登の人々の忍耐強さと、海のめぐみを大切にする心、加工技術の高さを象徴する珍味ともいえる。


  

 写真:煎海鼠                 写真:干しくちこ

 

A事例:干し柿(ころ柿)

 干し柿づくりは、主に農家の副業として代々受け継がれてきた。その製法は、時代によって移り変わってきており、かつては、枝ごと天日乾燥するという原始的なものであったが、その後、串に刺した串柿となり、明治以降は、現在のようにヘタを紐で結んでぶら下げる干し方になった。

 

  柿が色づいたら収穫し、すこし寝かせてから皮を剥く。ヘタの部分は、専用のナイフでぐるっと大胆に剥きとる。皮を剥いて紐で結んだ柿を、10日から2週間ほどつるして乾燥させる。やわらかくなってきたら、手で揉みほぐしてまた乾燥させ、また揉む、という作業を繰り返す。収穫から出来上がりまで、約3週間から1ヶ月を要する。


  

 写真 皮むき工程                写真 乾燥工程

 

B事例:もみいか

 江戸時代末期に、富来(現:志賀町富来)の漁師が北海道(函館)へ出稼ぎに行った際に、「両親においしいものを持って帰りたい」と考え、いかを塩漬けにし、俵に詰め込んで持ち帰ったが、塩辛くて食べることができず、手でもんで塩抜きし、天日で干したのがルーツとされている。

 

 塩干しにする場合もあるが、能登では、いしるで味付けをしてから干す「いしる干し」がよくつくられている。いかを内臓をとらずに干すため、一般的には「丸干しいか」と呼ばれるが、地元では「もみいか」とも呼ばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  写真 もみいか

 

C事例:灰干しわかめ・海ぞうめん

 比較的若い新鮮な生ワカメに、炭窯から出る灰やわらなどの草木灰をまぶし、灰をつけたまま天日干しをする「灰干し製法」は、江戸時代に考案された技術である。灰によってワカメに含まれている酵素の働きを抑え、鮮やかな緑色、歯ごたえの良さ、ワカメ特有の香りを、常温で1年以上保つことができるようになる。

 

 これは、灰の中のアルカリ成分が、クロロフィルの分解を防止することにより、緑色が保持されるためである。また、灰がワカメの表面の水分を吸収するため、乾燥速度が早まり、作業中の品質低下を防止する。さらに、灰に含まれるカルシウムの働きで、ワカメに含まれるアルギン酸が、水に溶けにくいアルギン酸カルシウムになり、葉体の軟化を防ぐため、歯ごたえが良くなる。

 

 同じ「灰干し製法」を使う製品に「海ぞうめん」がある。海ぞうめんは、赤色の透明感のある海藻で、長いものは30センチ程になる、ベニモズク科の紅藻である。灰にまぶして乾燥させるので、極細毛糸のように細く縮んで灰白色をしているが、洗って水に浸すとまたもとに戻る。水でもどすと緑色に、湯を使うと薄い紫色になる。コリコリとツルツルの食感があり、三杯酢を絡めるとうま味が増す。奥能登では、精進料理には欠かせない食材であったが、最近では収穫量も減り、珍味となっている。


 

写真 灰干しされた海ぞうめん

 

4)生物多様性との関わり

 志賀町で生産される「ころ柿」は、もともとこの地に自生していた最勝柿という種である。この柿は、熱やアルコールで渋を抜く「さわし柿」にしても食べられないほど強力な渋柿である。しかし、干し柿にはこのような渋柿が適しており、やわらかな果肉と濃厚な甘さが出る。さらに最勝柿は、1つ約250〜300gと大玉の品種であるため、干すと約3分の1の重さになる干し柿には最適であった。「ころ柿」づくりという手間隙をかけた加工技術が、自生種である最勝柿を守ってきたといえる。

 

 その土地でとれる固有の食材、旬の食べ物を加工して保存する技術は、伝統的な食文化や「種の多様性」を守ることにもつながっている。

 

5)里山里海との関わり

 食料を乾燥させて保存するという技術の根底には、里山里海のめぐみを余すことなく使い切るという人々の思いがある。また、干したり、乾燥させたりする技術や知恵が、里海と里山の資源をうまくつないでいる場合もある。

 

 干した海藻の余りや雨に打たせて塩分を抜いた海藻、あるいは乾燥させて保管しておいた海藻は、畑の肥料として利用されてきた。炭焼きの灰は、ワラビやゼンマイなどの山菜のアク抜きに利用されることはよく知られているが、能登では、「海ぞうめん」や「灰干しわかめ」などの水産加工にも利用されてきた。

 

 また、海沿いや軒下に干物や干し柿がつるされている風景は、能登の旅の魅力の1つでもある。


 

 写真 いかの天日干し            

 

 

<参考・出典>

柴田正人(1988)「素材を活かす食品の保存法−伝統食品を見直す−」『科学と教育』第36巻第3号p.255

七尾市史編さん専門委員会(1999)「図説七尾の歴史と文化」

北林雅康・和田学(2010)「みなと文化アーカイブス−七尾港の『みなと文化』」(財)みなと総合研究財団p.40-6

丸果石川中央青果「果実の知識」HPより<http://www.maruka-ishikawa.co.jp/fruits/items002/hoshikaki.htm>