---卒業後、就職されたんですよね?
九谷焼の窯元に就職しました。4年間働かせてもらったんだけど、今日の私があるのはそのお陰だと思うんです。
仕事自体は上絵付けが主でしたが、窯詰め・配達・集荷何でもやらせてもらったんです。素地の調達から、どんな物が売れていくか等、仕事の流れを毎日の経験で覚えていきました。
だから独立した後、スムーズに仕事が出来ましたね。最初から独立していたら、もっと要領悪い事していたでしょうね。
---村田さんは勤続中からグループ展とかもして、精力的に制作していましたね。
はい、一貫制作の窯元だったんで、勤務時間後に自分の創りたい物を作らせてもらっていました。何年かしたら自分で独立スタートしたいと思い始めたんです。グループ展とかもしていて手応えは感じていたんで、なんとなく自分で出来るかなぁと思いました。
---そして独立のステップとして、研修所の付属施設である九谷焼技術者支援工房にまず入居されたのですね。
「そろそろ・・・」って思ってた所だったんです。ちょうど支援工房が出来て、一回目の入居者になれました。
今の工房を建てる時、支援工房での経験が役立ちました。窯の棚板のサイズにしても、支援工房だとあとちょっとって所で2枚乗らなかったランチプレートも棚板のサイズを大きくする事によってロスを減らす事ができたし、現在取引しているほとんどのお店も支援工房にいるときに関係を築いたんです。
支援工房に入ってデザイン支援事業にも参加させてもらったのもよかった。
---支援工房に入居してから、どのように制作活動・販売活動をしてきたのですか?
私の場合、特に営業活動とかはしていないんです。支援工房で仕事をしていたら、たまたま問屋さん・県外のバイヤーさんとか沢山の方が見に来てくれましたね。それを機に取引が始まったかな。あとは展示会のDMを見たという方からのお話だったり。子供食器に関しては研修所のパイロットデザイン(現在のデザイン支援事業)のテーマとして取り組んでいました。
タイミングよく銀座松屋さんの「子供の器展」に声をかけていただいたのがはじまりです。とにかく、きっかけは確実に次に繋がるよう努力します。
---振り返って、嬉しかったなぁという事はどんな事ですか?
私の器を使って、食事しているお子さんの写真を送ってきてくださったり「割れてしまって子供が泣いているので新しい茶碗を送って下さい」って連絡が来たり。あとは年配の方なんですが私の初期の頃のを買って下さっていて、割れたから金接ぎして使っていると知ったときは、本当にうれしかったですよ。作家冥利だなぁって。そんな方達との出会いが嬉しいですね。
---それでは最後に、陶芸を志している後輩に向けてメッセージをお願いします。
自分を振り返ってですが、独立を目指してやっていこうって思っている人は、まず就職した方がいいと思いますね。
手仕事は毎日繰り返し経験して覚えていくものです。いろいろ学べるので焼物の会社、窯元に絶対勤めた方が良いですよ!