食通としても名高い作家の開高健が「こばせ」に初めて現れたのは昭和40年の冬。越前がに尽くしでもてなした長谷さんは、「同じ献立が続いては芸がない」と知恵を絞った。ひらめいたのは、子供のころに食べた記憶のあるセイコガニ(雌のズワイガニ)の丼だ。希代の健啖家けんたんかと勝負するつもりで、炊きたてのご飯の上に20パイ分の身、内子、外子、ミソをこれでもかとばかりに盛り付けた。
「先生、宝石箱をひっくり返してしまいました」
セイコガニを“海の宝石箱”と呼んで絶賛していた開高は、「ウーン」と唸るや一気にかき込み、7人前はあろうかという巨大な丼をペロリと平らげると、太鼓腹をポーンと叩いて「満足!」。のちの名物料理「開高丼」誕生の瞬間である。


宿のある越前海岸は奇岩・断崖が連なる景勝地。冬は群生する水仙の花が山肌を白く染め上げる。自慢の景色を楽しんでもらおうと、長谷さんは温泉とカニを満喫した宿泊客を車に乗せて案内する。
「せっかくお越しいただいたのですから、一つでも多くの感動を差し上げたいのです」
宿の浴槽にさりげなく浮かぶ一束の水仙。祈念旅行のお客様には、開高の色紙をコピーして、郵便局で景色印を押してプレゼントする。きめ細やかな心遣いこそが、長谷さん流もてなし術の真骨頂だ。

「開高先生が追い続けた『もっと遠く!もっと広く!』の夢。それをかなえてくれる北陸新幹線は大歓迎です。すでに金沢までの開業が決まっていますが、福井にも一日も早くつながってほしいですね。そのときのためにも、この地の食文化の魅力をしっかり発信し、お客様の期待を裏切らない努力を続けていきたいと思います」
かつて越前町観光協会長として敏腕を振るった“おもてなしの達人”の視線は、喜寿を過ぎた今も地域の未来を見据えている。